2021年6月11日に思ったこと
自分じゃどうにも出来ないことに腹を立てる。
君は僕じゃないし、僕は君じゃない。
僕のコントロールは僕にしか出来ないのだ。
友人、家族の行動すらコントロールできないのになぜ赤の他人にそれを求めるのだろう?
だらだら文句を並べて、「〜すべき」と宣う姿を見て「ダサいなぁ」と幻滅する。
文句、不満を言いながら「仕方ないから」と動く人。
責任を被りたくないから、決定を下さない人。
何かのせいにして言い訳を続ける人。
年齢に関係なく、思っていたよりもたくさんいるみたいだ。
なんとなく、話を聞いていて「なるほどね」と合点がいく。
自分が「良い」と思うものを産み落としていきたい。「なんとかする」人と仕事がしたい。
類は友を呼ぶのだから、まずは自分が「良い」ものを、仕事をして、「なんとか」していかなければならない。そういう人にならなきゃ、いけない。
出来ることはまだまだたくさんあって、やらなきゃいけないこともどんどんある。
明日の僕はどうする?
2021年5月30日に思ったこと
しかしまぁ、相も変わらず「怒る人」に感心をするばかりだ。
テレビに向かって講釈垂れて世界が変わるか?
選挙には行ってるのは大変立派だとは思うけど、身の回りをもうちょい大事にしませんか?
歳を重ねて「自分」を強く持って(しまって)、ペースを乱さずに進む。
これも素晴らしいことだとは思うけど、結局そこの帳尻合わせはこちらに回ってきていますヨ。
その帳尻合わせも静かに対応しますから、わざわざ騒ぎ立てて当人に当てつけなくていいですヨ。
こちらのペースが乱れますから。
なかなか僕も「怒れる人」ね?
また一人、歳を重ねている人の存在を確信した。
今までの経験を基にしたこれからの予測、計画。そこから必要なことを割り出して準備。
周りを尊重しながら、新しい形を提示する。
実に理想的で美しい立ち回りをする人。
たまに(月に2回くらい)衝突もする、というかしていく、けど、相手を理解するために衝突をしていく。結果、丸く収める。
素晴らしい。
惜しみなく経験も伝えてくれるから、吸収しながら歳を重ねていこう。恩返しをしていく。
大切な人、大好きな物事、幸せな感覚に思いを馳せれば怒ることなんて減るのに。
どうしてマイナスばかりに目を向けるかな。
平和に胡座をかいている場合ではないのだな。
重々承知している。
「重々承知しております」と見る、聞く度に焼肉が食べたくなるのは僕だけではないはずだ。
また明日、はくる。
2021年5月21日に思ったこと
最近、死ぬことが怖くなってきた。
特に理由もないけど、向こう15年くらいは生きてみたい思いがむくむくと芽生えている。
気に食わないことは相変わらずゴロゴロと転がっているし、いけすかない人間も切り離せない距離にワラワラと居座り続けている。
切ろうと思えば切ってしまえるけど、わだかまりは生まれそうだし、なんかあることないこと吹聴されそうだし、それは損だし。で切られない。
「大人なんだから」ってなんて便利な言葉なんだ、と日々痛感をしている。
メリット、デメリットで判断をするのはあまり好ましくはないけれど、どうしてもその尺度で測ってしまってデメリットばかりが目についてしまう。
厄介なことに、それは時間が経って笑えるものとは今のところ思えない。
もうこれは「性格」ではなく「性質」だろうから、受け入れていくしないのもわかってはいるけど、それを許す度量は逆さに振っても出てこない気がする。
自分が変わるか、環境が変わるか。
環境が変われ。切に願う。
持ち前の他力本願の癖に辟易する。
諸君、強がりたまえ。
2021年5月21日以前に思ったこと
その1
やらずに判断するのはダサいなぁ〜
(ずっと思ってるけど)
その2
なんでそんなに怒れるんだろうな〜
その3
もっと先輩を敬いたまえ
SUISOUについて
2021年5月5日、友人のライブを観に行き、3人組インストバンドのカッコ良さを改めて再認識し、我慢が出来なくなってTENYA-WANYAの初めてのMVを公開した。
SUISOU
動画内の表記にミスがあるし、映像自体もリテイクをかけたから、後日差し替えにする予定ではあるけど、公開から一週間で100回再生を超えた。嬉しい!
見てくださった方がこれを読んでおりましたら、深く御礼申し上げます(見てなくても言うよ)。
ずっとやってみたかった楽曲解説 SUISOU編
・曲の造りについて
メンバーと話しながら「Polyphia、CHONみたいな曲作るか」なんて一笑いした後に自宅で浮かんだのが冒頭。2019年大晦日に原案動画を撮っている。
スライドワーク+タッピングで今時テクインストっしょ!とねじ込んでみたところ、案外楽しくてそのまますんなり進んでいった。
ベースパターンも珍しく細かく注文を出して、包容→ビートと切り替えを依頼した(出来ているのかはシラナイけど)。
中間部の3/4× 3で進んでいくところが、ムソルグスキーの「組曲 展覧会の絵」から「プロムナード」が元ネタになっている。
進んで止まって、また進んで。
手を伸ばして止めて、やっぱり伸ばして、とか。
その後のジョァーンのところのギターは特に気に入った響きで、なんとなく「久石譲」なコードだと思っている(コウタにも通じた)。
歪みかけ録りにも関わらずいい感じの澄んだバランスになっていてグッとくるところ。
エンディングのキメフレーズは何気なく弾いていてグッときたやつを放り込んだから元ネタはなし。
階段を三段くらい飛ばして駆け上がるようなフレーズにはどうしてもワクワクした響きを感じてしまうので。
楽曲構成としてはこんな造りになっている。
・タイトルについて
TENYA-WANYAの曲名は全て僕が独断でつけているけども、そこに大きな意味はない。
「SUISOU(スイソウ)」も、たまたま泳いでいた言葉を捕まえて置いたもの。
だけど、「水槽」と「吸いそう」の二重の意味では捉えている。
常々、自分の世界の狭さに辟易しながら生きている節がある(気に入ったお店に通い、気の合う友人とだけ、同じところで遊ぶ)から、なんとなく囲われている気になる。
自分の音もなんとなくしっとりした音に感じるし、水をモチーフにするとしっくりくるのだ。
「吸いそう」の方にはなんとなく禁煙中の友人が気になって、その辺りの葛藤が中間部に当てはめられるのかなぁ、とぼんやり思って後から付け足して満足したもの。
煙も掴めなくて、冷たくて、深い。
そんなわけで「SUISOU」でしっくり来ている。
楽曲解説 終わり
TENYA-WANYA、配信曲はSUISOU含め全4曲を予定(審査中につき配信時期は未定)
全て色々考えて曲を作り、タイトルをつけ、演奏をしているから、どんな形であれ愛してほしい。
先に述べた僕の解釈が全てではなく、聴いた人が持つイメージがそれ。
でも僕の解釈と違ったら教えてほしいな、と思う。
なんにせよ、たくさん聴いて、たくさん愛してください。お願いします。
これを読んでくださったあなたに向けて。
SUISOU / TENYA-WANYA
2021年4月10日と11日に思ったこと
2021年3月16日に思ったこと
あいも変わらず「棺桶に入る時、どんな顔をしたらいいだろう?」と考える日々が続いている。
ネガティヴだと思われがちだけど、自分の中ではとてもポジティブな悩みなのである。
死んでしまうことは分かっているけど、まだ今じゃない、もう少し先に延びてほしいと思う。
ロックスターは27歳で死ぬ、なんて噂ではいうけど
仮に僕が27歳で死んだってそれはただ
「若者が、半端者が死んだ」だけのこと。有難い称号と比べられるくらいなら一年かそこら時期をずらして
「やっぱりあいつはもってなかったな」
と笑い飛ばされたいものだ。
この所は身の回りの事象が驚くほどスムーズに回り始めている。
日々、新しい刺激が芽吹いて春を感じる。
これまでの種蒔きの成果とくくるとなんとも鼻が高くなるけど、持って生まれた「ラッキー」に過ぎないとして星に感謝している。
引き続き種は蒔いて、足下を掬われないように気をつけていく。
多分、また「ラッキー」でなんとかなるけど。
2021年3月3日に思ったこと
気がついたら棺桶の中にいる?
最後の嘘をついたらきっと明日がくる。
大人って強引に区切られるだけで、ほんとは子どもと大差ない。
けど、大人だから、とらしく振る舞うのが大人だなぁ。
子どもが多すぎて辟易する。
棺桶の中でどんな顔をしたらいいかなぁ