2021年2月6日までに思ったこと
常々感じることで、「怒る」とはなんとエネルギーのいることか。
この頃の世相もあって、「〜の対応が悪い」とか「〜は間違っている」とか、
当事者でなくてもその「怒り」を見る機会が増えているような気がする。
身の回りにある井戸端会議でもワイドショーの情報であぁだこうだと盛り上がり、
文句を言って時間ばかりが過ぎている。
ムダだなぁ、なんてよく思う。
かく言う自分も、後になってみると恥ずかしくなるほどに些細なことで声を荒げたりもするけど、そこまで怒る機会は多くないつもりでいる。
(洗い物がシンクに置きっぱなし、とかそんなことは気になる。)
「怒る」ことは「期待をする」ことなのかなぁ、とぼんやりと思っている。
自分も何かを得られるだろう、とか、他人ばかりずるい、とか。
もらえると思っていたものがもらえなければ、怒るんだろうな、と。
貰えないなら、それはそれで。となってしまうのは自立心なのか諦めなのか。
我ながら、可愛げがないな、と感じてしまう。
色んな大きな流れの中で、会社の経営とか仕事の進め方、果ては国家の進み方なんていうのは、今の僕にはとても手に負えないし、考えられない規模の話だと感じている。
だから怒るに怒れない。なぜなら代替案の提示ができないから。
そりゃもちろん出世したいし、バリバリ仕事したいし、豊かになりたいし、
明日も明後日も僕は僕でありたい。
でも何も偉そうなことは言えない。
だから今の流れの中で、自分ができることを粛々としていくしかない。
もっと色んなことを見て、感じていかないといけない。
吐き出すことで、新しいものを取り入れるスペースを作る。
そのために書き連ねて見たこの文章こそ「怒り」の発現であり、
エネルギーの浪費になっている。
でも、書いてみたかったから良いよね。